ベトナム人材を採用した後、最も早期に顕在化するトラブルの一つが「給与明細をめぐる誤解と不満」です。「思っていた手取りと全然違う」「なぜこんなに引かれているのか」「先月より残業が多かったのに振込金額が減っている」——こうした声は、日本語力の不足だけに起因するわけではありません。むしろ、通貨の単位感覚・お金の計算習慣・送金文化といった生活背景の違いが複合的に絡み合っています。

本記事では、ベトナムのお金に対する文化的な感覚・通貨換算の実態・送金習慣・季節性の資金ニーズまで踏み込みながら、採用担当者が初期段階から実践できる定着支援策を解説します。特定技能・技能実習・高度専門職など在留資格を問わず、ベトナム人材と働くすべての企業担当者に向けた内容です。

ベトナムと日本の「お金の単位感覚」の根本的な違い

ベトナムの法定通貨はベトナムドン(VND)です。2026年6月時点の参考レートはおおむね1円=約160〜170ドン前後で推移していますが、重要なのはレートそのものよりも「桁のスケール感の違い」です。

日本では月給22万円という数字を見ると、5〜6桁の数値として直感的に把握できます。しかしベトナムドンに換算すると約3,500万〜3,700万ドン前後になります。ベトナム国内では「〇〇万ドン」「〇〇百万ドン」という表現が日常的であり、数百万〜数千万ドン単位のやり取りが普通の生活感覚の中にあります。この「桁のスケール感」が日本円と根本的に異なるため、金額の大小を直感的に判断するための計算回路が、来日したばかりのベトナム人材には十分に備わっていないことがあります。

さらに深刻なのは、ベトナム国内の賃金水準との落差です。都市部のホーチミンやハノイで働く一般製造業労働者の月収は、月500万〜1,000万ドン(日本円換算で約3〜6万円相当)程度のケースが多く、日本の最低賃金水準でさえ「夢のような高収入」として認識されることがあります。この収入格差の大きさが、かえって「これだけ稼げるはずなのに手取りが少ない」という強い不満感を生む温床となっています。

ベトナムではデジタル決済(MoMo・ZaloPay・ViettelPay等)の普及が急速に進む一方で、現金での支払い文化も根強く残っています。お金を「自分で数えてやり取りする」感覚には慣れ親しんでいますが、給与から複雑な税・社会保険料が自動的に控除される仕組みは、来日前には想定していないことが多いのです。

ベトナムドン→日本円:通貨換算が日常的に発生する現場の実態

ベトナム人材は、日本で受け取った給与を母国の家族に報告する際、必ずベトナムドンへの換算を行います。これは送金のためだけでなく、「自分がどれだけ稼いでいるか」を家族・地元コミュニティに伝えるための共通言語として機能しています。ベトナムでは海外出稼ぎで成功した家族を誇りとする文化が強く、毎月の送金額は本人の自己評価とも深く結びついています。

現在、ベトナムへの海外送金手段としては、銀行振込・専用送金サービス(Wise・SBIレミット・GMOあおぞらネット銀行等)・コンビニ送金などが主に使われています。送金手数料や適用レートはサービスによって差があり、受取額がどれくらい変わるかを細かく比較しているベトナム人材は少なくありません。「今月は何万ドン送れるか」という計算は、日本語学習や仕事上のやり取りと並行して、頭の中で常時行われています。

出入国在留管理庁 が公表する統計によれば、2025年末時点での在留ベトナム人は約56万人を超え、国籍別在留外国人数でトップクラスを維持しています。この規模の送金ニーズが毎月発生していることを考えると、「お金の計算」はベトナム人材の生活と自己肯定感の中核をなす営みです。この実態を理解した上でサポート体制を設計することが、職場定着に直結します。

残業が増えた月に送金額を増やせるか、社会保険料の控除が変わった月に送金計画をどう調整するか——こうした細かな資金計算を、担当者も共に考える姿勢を見せることが、信頼関係の早期構築につながります。

外国人採用の基礎的な考え方や手続きについてはこちらの解説記事もご参照ください

現場でよくある相談:給与明細・手取り計算を巡る誤解

現場でよくある相談として、担当者が最初に直面するのは「手取りが契約書と違う」という訴えです。しかし多くの場合、これは不正や計算ミスではなく、社会保険料・雇用保険料・所得税・住民税といった控除が正当に天引きされているためです。日本の給与体系としては正常な処理ですが、ベトナム人材にとってはまったく予期していなかった仕組みであることが多い。

厚生労働省 の調査でも、外国人労働者が雇用上のトラブルを経験する理由として「労働条件の事前説明不足」が上位に挙がっています。採用時に「月給●万円」という総支給額しか説明されなかった場合、実際の振込額を見たベトナム人材が「騙された」と感じることがあります。これは誠意の問題ではなく、説明設計の問題です。

以下は現場でよくある相談として寄せられる典型的な疑問です。

  • 「健康保険料と厚生年金を合わせると月3〜4万円も引かれる。なぜそんなに高いのか理解できない」
  • 「残業代がついたはずなのに、なぜ今月の手取りが先月より少ないのか(社会保険料の標準報酬月額改定タイミングと重なるケース)」
  • 「住民税の特別徴収が始まる6月以降に突然手取りが減った。何かトラブルが起きたのか」
  • 「年末調整で還付があると聞いたが、自分は対象になるのか。そもそも年末調整とは何か」
  • 「雇用保険は払っているが、何かメリットがあるのか。帰国したら使えるのか」

これらの疑問は、日本人労働者なら学校教育や職場経験を通じて徐々に習得していく知識です。しかし来日直後のベトナム人材には背景知識がなく、「制度だから」という一言で説明を終わらせると、かえって疑念を強めます。給与明細が届くたびに確認できる仕組みと、質問を歓迎する職場風土を整えることが重要です。

失敗パターンと回避策:給与説明でよくある企業側のミス

失敗パターンと回避策を整理する前に確認しておきたいのは、「なぜ失敗が起きるのか」という構造的な原因です。多くの場合、企業側は説明を「した」つもりでいますが、ベトナム人材側には十分に「伝わって」いません。言語の壁だけでなく、説明のタイミング・フォーマット・深度・フォローの有無が複合的に影響しています。

失敗パターン①:採用時に総支給額しか伝えない

「月給22万円」という説明だけで内定を出し、実際に支給が始まってから手取りは17〜18万円程度になると初めて判明するケースです。ベトナム人材の感覚では、22万円×約165ドン=約3,630万ドン程度を見込んでいたのが、実際の振込額は17万円×約165ドン=約2,805万ドン程度になり、換算後の差額がより鮮明に「損失」として認識されます。

回避策は、内定承諾前に手取り見込み額を書面で提示することです。 e-Gov に掲載されている労働基準法・労働条件通知書の様式には、賃金の控除項目についての記載欄があります。この欄を丁寧に活用し、ベトナム語訳を添付することで説明の質が大幅に向上します。

失敗パターン②:1回の説明で完結させようとする

入社時に一度だけ給与説明を行い、その後はフォローしないケースです。住民税の特別徴収開始(入社翌年6月)・社会保険標準報酬月額の定時決定(毎年9〜10月)・年末調整・育児休業保険料免除など、手取り額に影響するイベントは年間を通じて複数回発生します。その都度「今月はこう変わった、理由はこれだ」と一言添えるサポート体制を作ることが、不信感の発生を防ぎます。

失敗パターン③:ベトナムドンへの換算を全く考慮しない

「日本で働いているのだから日本円で考えてほしい」という姿勢は、ベトナム人材の心理的負荷を増大させます。送金や家族への報告のために換算計算は避けられないため、定期的に「今月のレートだとこれくらい送れる計算になる」という参考情報を伝えるだけでも、担当者への信頼と職場への帰属感が高まります。

失敗パターン④:担当者が一人で抱え込む

給与・控除・送金に関する相談を特定の担当者一人が対応していると、その担当者が異動・退職した際に引き継ぎがされず、ベトナム人材が「頼れる人がいない」と感じて離職につながることがあります。サポート体制を個人ではなく仕組みとして設計することが重要な判断基準です。

コミュニケーションスタイルの国ごとの違いについては、ミャンマー人材の事例も参考になります

採用担当者が見落としやすいポイント:控除・送金・Tết前の資金ニーズ

採用担当者が見落としやすいポイントの筆頭が、季節性の資金ニーズです。ベトナムには旧正月「Tết(テト)」があり、2027年は2月17日がTết元旦にあたります(旧暦によって毎年変動)。Tết前後はベトナム社会全体で「お金が大きく動く時期」であり、帰省費用・家族へのプレゼント代・「お年玉」文化(lì xì:リーシー)など、例年より多くの支出が集中します。特に実家への仕送りを増やすことが「孝行の証」とされる文化的背景から、この時期の送金額は通常月の1.5〜2倍になることもあります。

Tết前後に「残業を増やしたい」「有給を使って帰省したい」という申し出が増えるのは、ベトナム人材にとってごく自然な行動です。企業側がこのサイクルを理解していないと、急な残業申請を「勤務態度の変化」と誤解したり、Tết明けに離職者が出ることへの対処が後手に回ったりします。

以下は他にも見落とされがちなポイントです。

脱退一時金制度の存在

在留資格を持つ外国人が厚生年金に加入した場合、帰国時に「脱退一時金」の請求が可能です。加入期間が6ヶ月以上あれば申請できるこの制度は、帰国を検討しているベトナム人材にとって重要な情報です。厚生労働省の公式サイトでも手続き方法が案内されており、この情報を正確に提供することが、「情報を隠さない・誠実な会社」という印象を形成し、むしろ長期定着への信頼につながります。

住民税の天引き開始タイミング

入社初年度は前年所得がないため住民税の特別徴収が発生しません。しかし翌年6月から突然天引きが始まり、毎月の手取りが1〜3万円程度減少します。この変化を事前に伝えていないと、「何かトラブルが起きた」「給与を間違えて計算されている」という誤解が生じます。入社時に「来年の6月からこう変わる」とカレンダーに記して渡すだけで、トラブルを予防できます。

ハローワークの活用と相談案内

ハローワークでは外国人雇用状況の届出受理のほか、外国人労働者向けの相談窓口も設けています。給与・労働条件に関するトラブルが発生した場合の相談先として、入社時に案内しておくことで、問題の早期発見・早期解決が可能になります。「困ったときの外部相談先がある」と知るだけで、ベトナム人材の心理的安全性が高まります。

判断基準として重要なのは、「ベトナム人材がお金の問題を抱えたとき、誰に・いつ・どうやって相談するか」という経路が明確になっているかどうかです。相談経路が不明確な職場では、問題が水面下で大きくなり、突然の離職として顕在化します。一方、「困ったときはまずこの担当者に」という仕組みがある職場では、早期介入による解決が可能になります。

図解:採用後のお金サポートフロー(採用から定着まで)

採用後に行うべきお金に関するサポートを時系列で整理します。以下を視覚的なチェックポイントとして参照してください。

フェーズ1:内定〜入社前(入社2〜4週間前)

  • 労働条件通知書を日本語・ベトナム語の両言語で交付する
  • 総支給額・主な控除項目・手取り目安額を書面で明示する
  • 入社初年度は住民税が発生しない旨と、翌年6月以降の変化を予告する
  • 銀行口座開設・マイナンバーカード申請のサポート方法を確認する
  • 送金サービスの種類と手数料目安を案内する

フェーズ2:入社当日〜初回給与支給日

  • 健康保険・厚生年金・雇用保険の種類・金額・意義をベトナム語資料付きで説明する
  • 「初月の給与明細の見方」を一緒に確認する時間を設ける
  • 初回送金のサポート(送金アプリの登録方法、レートの確認方法の案内等)
  • お金に関する疑問の相談先担当者と連絡方法を明示する

フェーズ3:入社3ヶ月以内(試用期間中)

  • 給与明細を一緒に見る個別面談を月1回程度実施する
  • 残業代・交通費精算・各種手当の計算方法を再確認する
  • 「思っていたより手取りが少ない・多い」という感情をキャッチアップする仕組みを整備する

フェーズ4:入社6ヶ月〜1年目

  • 住民税特別徴収開始(6月)を事前に書面と口頭で説明する
  • 社会保険標準報酬月額の定時決定(9〜10月)についての説明を行う
  • Tết前(12〜1月)の送金ニーズを把握し、残業・有給休暇取得のスケジュール調整を行う
  • 年末調整・確定申告の要否を確認し、必要に応じてサポートする

フェーズ5:2年目以降の継続定着

  • 脱退一時金制度の情報を帰国検討者に提供する
  • キャリアパスと年収見込みを定期的に共有し、長期在籍のメリットを可視化する
  • 物価・生活費変動に関するフォロー面談を年1回以上実施する

実務チェックリスト:ベトナム人材への給与・生活費サポート

以下の実務チェックリストは、採用担当者が入社前から定着期にかけて確認すべき項目をフェーズ別にまとめたものです。定期的に見直し、対応の抜け漏れを防ぐためのツールとして活用してください。

入社前チェック

  • 労働条件通知書にベトナム語訳(または対訳)を添付したか
  • 手取り見込み額(主要控除を差し引いた概算金額)を口頭+書面の両方で伝えたか
  • 銀行口座開設のサポート体制を確認・準備したか
  • 主要な送金サービスについての情報を用意・案内したか
  • Tết(旧正月)の時期と文化的意義を社内で共有したか

入社直後チェック

  • 給与明細の各項目をベトナム語対応資料付きで説明したか
  • 社会保険の種類・控除金額・将来的なメリットを説明したか
  • 住民税の仕組み(初年度と翌年以降の違い)を伝えたか
  • 困ったときの相談窓口(社内担当者・ハローワーク等)を明示したか
  • 初回送金のサポートを提供したか

3ヶ月フォローチェック

  • 給与明細への疑問や不満が解消されているかを個別面談で確認したか
  • 手取り金額に対する認識のずれがないかを確認したか
  • 残業代・各種手当の計算方法を再確認する機会を設けたか

年次チェック

  • Tết前後の資金・休暇ニーズに対応する体制を確認したか
  • 住民税特別徴収開始タイミングに向けた事前説明を実施したか
  • 年末調整・確定申告の要否を確認し、必要な手続きをサポートしたか
  • キャリアパスと年収見込みについての面談を実施したか
  • 脱退一時金制度の情報を帰国希望者に提供したか

よくある質問(FAQ)

Q1. ベトナム人材に給与明細を説明するとき、ベトナム語の資料は必ず必要ですか?

必須ではありませんが、強く推奨します。日本語能力試験N3以上の人材でも、控除項目の漢字や金額計算の根拠を正確に理解するには時間がかかります。厚生労働省が提供している多言語版の労働条件説明素材(ベトナム語版)も活用しながら、説明コストを削減することが得策です。初回だけでなく、住民税開始・社会保険料改定など手取りに変化が生じるタイミングでも更新資料を提供することが理想的です。

Q2. ベトナム人材が「手取りが思っていたより少ない」と言い始めた場合、どのように対応すべきですか?

まず感情を受け止めることが大切です。「制度だから仕方ない」という対応は不信感を高めます。具体的な給与明細を一緒に見ながら、各項目の意味・金額・計算根拠を丁寧に確認してください。それでも納得が得られない場合は、ハローワークや社会保険労務士への相談を案内することも有効な選択肢です。

Q3. 送金のサポートを企業が行う必要はありますか?

法的な義務はありませんが、「良い職場環境」の一部として位置づけることで離職率の低下につながります。具体的には送金サービスの情報提供・銀行口座開設の同行サポート・給与振込日と送金タイミングのアドバイスなどが挙げられます。費用をかけずに実施でき、効果対コストが高い取り組みの一つです。

Q4. Tết休暇を申請されたとき、どう対応するのが適切ですか?

ベトナム人材にとってTết(旧正月)は日本の正月以上に特別な意味を持つ文化行事です。有給休暇の計画的取得を奨励し、可能であれば帰省を考慮したシフト調整を事前に行うことが、定着率向上に効果的です。採用計画の段階から「毎年1〜2月に集中的な休暇希望が生じる」ことを織り込んでおくことが現実的な判断基準となります。

Q5. 脱退一時金制度の存在を伝えると、帰国を促すことになりませんか?

逆説的に、正確な情報をオープンに伝えることで信頼関係が生まれ、長期定着につながるケースの方が多いです。「この会社は自分の利益を隠さず教えてくれる」という安心感が醸成されることで、帰国より継続就労を選ぶベトナム人材も多くいます。情報を出し惜しみするよりも、長期的な関係構築を重視する姿勢を示す方が実務上は効果的です。

Q6. 社内に日本語で説明できる担当者がいない場合はどうすればよいですか?

対訳資料・翻訳アプリの活用が現実的な第一歩です。また、送り出し機関や登録支援機関が提供する生活サポートサービスを活用することで、給与・税・社会保険に関する多言語説明を外部に委託することもできます。サポートを一人で抱え込まず、仕組みとして整備することが持続可能な定着支援の要です。

まとめ:お金の理解が職場定着の基盤をつくる

ベトナム人材の職場定着において、「お金の計算・通貨感覚の違い」は見過ごされやすいテーマですが、初期離職の主要因の一つです。ベトナムドンと日本円の桁のスケール感の違い・送金文化と家族への責任感・Tết前後の季節性資金ニーズ・控除の仕組みに対する知識ゼロの状態——こうした要素が重なると、「思っていた職場と違う」という感情が静かに形成されます。

採用担当者として取れるアクションは、特別な予算をかけなくても多数あります。給与明細を一緒に確認する時間を月1回作る・手取り目安を入社前に書面で伝える・ベトナム語の対訳資料を活用する・Tết前後の資金ニーズを業務計画に組み込む——こうした積み重ねが、信頼関係の土台となり、定着率の向上に直結します。

出入国在留管理庁・厚生労働省・ハローワークといった公的機関の資料・相談窓口を活用しながら、担当者一人で抱え込まない体制を構築することも欠かせません。外国人材の採用・定着に取り組む企業担当者にとって、文化・生活面への理解は「あれば好ましいもの」ではなく「なければ離職が増えるもの」です。

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この記事を書いた人

ヤマシタハヤト

ヤマシタハヤト

ユアブライト株式会社 取締役 / 登録支援機関 実務責任者。特定技能・外国人材採用・登録支援・在留資格実務を専門領域とし、登録支援機関であるユアブライト株式会社の取締役として、外国人材紹介と受入れ支援の実務に関わっています。

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